今と昔でこんなに違う?昔懐かしい葬儀の原風景          

 <この記事の要約>


20歳で葬儀業界へと進み、その後46年。これまでさまざまな葬儀を見てまいりました。40数年前と今、故人を送るご家族の思いに変わりはなくとも、その葬儀は大きく様変わりしています。家族でのホール葬が主流となるにつれ、昔は当たり前だった光景が今ではすっかり見られなくなりました。そこで今回は、私が見てきた昔懐かしい葬儀の風景をご紹介します。

目次

多くの人が集い、盛大に故人を偲ぶ昔ならではの葬儀

道の両側や家の周りに巨大な「花輪」がずらり

今は見なくなった光景の一つとして思い出すのは「花輪」です。昔は葬儀の際、自宅やお寺など式場の外に、花輪を飾るのが慣例でした。直径2メートルほどの大きな花輪に三脚がつき、全体の高さは3メートル以上。花輪の下に名札には、会社名や個人名、親族名などを記し、その花輪を道の両側や田んぼにずらりと並べます。少なくても10基前後、多いときは100基以上になり、何百メートルと連なることも。とにかく大きいんですが、なんせ風に弱い。ちょっと風が吹くとすぐに倒れちゃうんです。お式の最中に倒れることもしばしばで、立て直しによく奔走していたのを覚えています。ホール葬が増えてからも、駐車場に並べていましたが、今はほとんど需要がなくなってしまいました。

祭壇を飾る「幕張り」は熟練の技で華やかに

自宅の壁や天井に、画びょうで幕を張ることを「幕張り」と言います。葬儀業界資格・葬祭ディレクター実技課題の一つでもあります。

幕張りには、家の様子が参列者に見えないよう目隠しをし、部屋全体を式場のようにしつらえる役割があります。神式では紫色、仏式では白・青・緑の幕を使うことが多いです。

今はホール葬がほとんどで、幕を張るのは長机くらいとなってしまいましたが、自宅葬の際にはさまざまな装飾テクニックを駆使していました。

幕張りは一人で行います。1枚ものの布を天井から吊るし、幾重にもひだを重ね、円形状のシャンデリアのように形作ることもあれば、放射線状に四方へひだを連ね装飾することもあります。左右対称なのが美しさの秘訣で、難しいポイントでもあります。下書きや仮留めはなく、私の頭の中にある完成図をもとに、仕上げていきます。費用によって使用できる幕の長さが違いますので、その時々で形は異なりますが、私の感性でできる限りの装飾を施していました。お部屋の様子を見れば必要な布の長さが分かりますし、仕上がりのイメージも浮かびます。参列された方々に「すごいなあ」とお言葉をいただくこともありました。

幕張りはとにかく練習。入社したら、まずは練習する技術の一つです。新人研修では幕張りの指導もしていました。昔は特に、幕張りを習得しないと仕事にならなかったんですよね。

100年朽ちないことを願う、総ヒノキ棺での土葬

葬儀業界46年の中でも、土葬の経験は数えるほどです。土葬の際は、棺を埋めたあとに土を高く盛り、その後ろに墓標を立てます。棺は木でできているので、時間とともにいずれ朽ちていく。土の重みで棺が崩れ、盛っていた土も下がることで自然へと還ったことが分かります。

土葬の中で非常に記憶に残っているのが総ヒノキの棺。現在の棺の重さは20キロほどですが、総ヒノキとなると100キロ近くにもなります。その中にご遺体が納められているので重さはそれ以上。100年もつ棺を、ということでつくられたものでした。相当な重さだったと思いますが、出棺時には棺を参列者で持ち上げ、時計と反対周りに3度回すという慣習も欠かさずされていたのをよく覚えています。

祭壇を彩り、ご遺体を守る数々の装飾品や装具

今は見かけない装飾品・装具というと、「回転灯篭」や「くす玉」、「箒(ほうき)」などがあります。回転灯篭は、あの世に行く道のりを照らす灯り。ロウソクと同じような意味があります。くす玉は鳥居形をした木枠の中央に玉が吊るされているもので、祭壇の両側に飾られます。回転灯篭は初盆にも利用され、迎え火といった役割も。

余談ですが、お盆というと昔はキュウリとナスに4本の割り箸を動物の脚のようにさして飾っていたのをご存知でしょうか。キュウリは馬、ナスは牛を表します。お盆は馬に乗って、故人に早く来てほしい、帰りは牛に乗ってゆっくりと帰ってほしいという意味があるんです。

また、箒は「守り刀」と同じ魔よけの印で、ご遺体の布団の上に。魔物は光に弱いということで、刀の光でご遺体を魔物から守るという意味があり、箒には掃き清め邪悪なものを払うという意味があります。昔はどの家にも箒がありましたが、今はほとんどありませんので箒を置くことはなくなりましたが、守り刀は今でも置いています。今思うと、昔は言い伝えや俗信などが多く、それにまつわる装飾品が数多くありました。

葬儀形態の変化とともに葬儀会社の役割も変化

この30年ほどで、私たち葬儀会社の役割も大きく変化しました。自宅葬の多かった昔、ご自宅までの道が狭く車が通れない場合は“担ぎ込み”をしていました。ご自宅近くの広い道までトラックを付け、そこからご自宅まで人力で何往復もして装具を運ぶことを“担ぎ込み”と呼びます。坂道だったり、長い階段だったり、大変な作業ではありました。装具は繊細な装飾品も多く注意が必要です。落として壊してしまったり、階段下へコロコロと転げ落ちたりということも。そんなときはもう一度装具を取りに戻り運び直しですが、ホール葬ではそんなこともなくなりました。

また、私たちの服装も変化した光景の一つです。今は制服やスーツが一般的ですが、30年以上前には服装に決まりがなく、作業服や私服で行くことがほとんどでした。真っ赤なセーターで作業する者も。今のように式の司会をすることもありませんし、業務といえば準備や後片付けといった作業が中心。黒い服を着ていくということ自体がなかったんです。葬儀で真っ赤なセーターだなんて、今となっては驚きの光景です。

さくら祭典森下から皆さまへ

「いってきます」「いってらっしゃい」。日常のようにあいさつを

昔はたくさん人を呼んで、たくさんの人に見送ってもらうのが葬儀でした。故人の意思というより、立派に見送りたいという家族の思いが強かったように思います。今では家族葬がほとんどで、あまり人を呼ばない葬儀が増え、亡くなったこともご近所の方が知らないケースが少なくありません。ホール葬だからご近所さんお手伝いの必要がなく、気を遣わせたくないという思いの表れでもあります。

私個人としては思うのは、故人さんもその周りのお付き合いのあった方も、最後にあいさつを交わしたいんじゃないかと思うんです。お互いに。

私は家を出るとき妻に「いってきます」と声をかける。そして妻は私に「いってらっしゃい」と声をかける。葬儀はこれだと思うんです。最後のあいさつ。だから葬儀は、生前に関わり合った多くの人と、最後にあいさつを交わせる場であってほしいと願っています。


岡山県内に13ホールを展開している「さくら祭典」では、地域の風習を理解した地元出身のスタッフが、あらゆる角度からご提案させていただきます。葬儀の風習やしきたりに不安を感じたら、お気軽にご相談ください。

\ どんなことでもお気軽にご相談ください /


この記事をSNSで共有する

監修者

森下福夫のアバター 森下福夫 専務取締役

岡山県岡山市出身
1981年(昭和56年)より葬祭業に従事し、業界歴は45年を数える。2004年に株式会社さくら祭典へ入社。 厚生労働省認定「1級葬祭ディレクター」を、制度開始初年度である1996年に取得。これまでに担当したご葬儀は2,400件を超え、その経験は近年、多様化する葬送の形に対し、永年の現場経験に基づいた「葬祭の基礎知識」を体系化し、今後の後進の育成や指導にも注力して行きたい。

目次